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Message
イエズスは言われる。「飢饉と疫病による大量死は、わたしの再臨の前兆である。あなたたちを罰し、あなたたちをのもとに呼び戻すために創られた懲らしめは、その苦痛を与える力をもって、の子らとサタンの子らとの選別の一つを行うだろう。
 飢えは略奪によって、また国家独立の正当化のためではなく、もっぱら、人間の皮をかぶった悪魔たちの権力と傲慢の凶暴性による呪われた戦争によってもたらされ、の意志による宇宙の法則の一時停止によりもたらされる。
 そのために寒さはきびしく長くつづき、焼けつくような灼熱は雨で軽減されず、季節は逆転して、雨の季節に日照りがつづき、穀物の取り入れどきに長雨が降り、にわかの暖かさや異常寒波の来襲にだまされて、木々は季節はずれの花を咲かせ、すでに実を実らせたばかりなのに、またあらたに無駄な花を咲かせ、今度は実を実らせることも出来ずに萎れてしまう──あらゆる無秩序には害があり、死に導くからだ。人間たちよ、そのことを銘記しておくがよい──こうしてもたらされる飢えは、この傲慢でに敵対する人間という種族を容赦なく責めさいなむだろう。
 動物たちは、秣(まぐさ)、烏麦(からすむぎ)、その他の飼料に事欠いて飢え死にし、人間たちは飢えで家畜に子を産ませる時間さえ与えずそれを食べてしまうだろう。空の鳥と水中の魚、家畜と羊の群は、土地が最早あなたたちに僅かしか産出してくれない食物をあなたたちの胃袋に送り込むために、四方八方から、襲われるだろう。
 戦争、疫病、地震、豪雨によって誘起された大量死は、善人と悪人とを彼岸に突き落とすだろう。
 偶像崇拝、淫欲、憎悪、傲慢の罪によって汚された地球の祭壇を清めるために主が準備された生贄、それは、の稲妻の研ぎ澄まされた鎌に刈り取られて幾千、幾万となく死んでいく人々、あなたたちだろう。四月の牧場で刈り取られる雑草のように、あなたたちは重なり合って倒れるだろう。すなわち、毒を含む花に混じる聖なる花々、やわらかな茎であるあなたたちは棘をもつ茨に混ぜ合わせられる。わたしの天使たちの手は祝福されたものと呪われたものを選り分け、前者を天に導き、後者を地獄の飼料として悪魔たちの熊手に委ねるだろう。乞食であろうと王であろうと、無知であろうと学者であろうと、老人であろうと若者であろうと、司祭であろうと兵士であろうと死に対して相違は無く、砦(とりで)を築くことはなかろう。罰はあるだろうし、それは恐るべきものであろう。
 いいや、あなたたちの行いに対して、は良くも悪くもなさらないと考えてはならない。わたしはあなたたちにそれを誓う。わたし自身に誓い、わたしの正義にかけて誓い、この三重の誓いを立てて、わたしはあなたたちが行なった善に対しては善をもって、あなたたちが行なった悪に対しては悪をもって報いる、と言う。」
'43年10月29日 マリア・ヴァルトルタ著「地球上の神の国」より

News

'17・11/17 新しいホームページにつきまして

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'15・9/18 新刊のお知らせ

   刊行!

「聞く耳があれば、聞きなさい。」マルコ4・23
マリア・ヴァルトルタ「私に啓示された福音」第5/中巻が刊行されました。「パンの奇跡」「マグダラの改心」「ファリサイ派の人びとのパン種」等、よく知られているものも知られていないものも含めて、どのエピソードも目から鱗、すべてのキリスト者にとって必読の一冊です。四六判260頁、税込2,160円。送料は当面サービス致します。ご注文をお待ちします。

第5/中巻 目次
●イエズスの公生活の第三年
322 セレウチアから馬車で出発し、アンティオキアに到着。
323 アンティゴニオ訪問。
324 アンティオキアからの出発を前に、八使徒による説教。エンドルのヨハネとシンティカとの別れ。
325 八使徒はアクヅィブでイエズスと合流する。
326 アクヅィブでの休息。
327 フェニキアの国境で。民族の平等についての説教とパン種の譬え話。
328 アレッサンドロシェネのエルミオーネ兄弟のところで。
329 アレッサンドロシェネの市場で。葡萄畑の労働者たちの譬え話。兵士アクィラ。
330 ゼベダイのヤコブとヨハネは《雷(いかづち)の子》となる。牧者アンナと共にアクヅィブに向かう。
331 カナンの女の信仰とその他の成果。アクヅィブへの到着。
332 別離を苦しんだバルトロマイ、フィリポと共に。師イエズスと再会する。
333 十人の使徒と共にシカミノンへ向かう。
334 トマとイスカリオテのユダも使徒のグループに合流する。
335 イスマエル・ベン・ファビとの偽りの友情と安息日に癒された水腫患者。
336 ナザレで四人の使徒たちと共に。至聖なるマリアへのトマの愛。 337 コラジンでの安息日。働かない心臓に関する譬え話と、腰の曲がった女の治癒。
338 イスカリオテのユダ、奇跡の力を失う。果樹園の番人の譬え話。
339 メロンに向かう。ユダ・イスカリオテの罪深い夜。
340 ユダ・イスカリオテの改心と、ヒルレの墓でのラビたちとの衝突。
341 イエズスの傷ついた手。シロ-フェニキアの国境での一聾唖(ろうあ)者の治癒。
342 チェデスで。ファリサイ派の人びとから要求されたしるしとハバククの預言。
343 ファリサイ派の人びとのパン種。人の子に関する意見。シモン・ペトロの首位権。
344 フィリポのカイザリアで弟子たちとの出会い、ヨナのしるしの説明。

'13・10/30 新刊のお知らせ

   刊行!

「聞く耳があれば、聞きなさい。」マルコ4・23
マリア・ヴァルトルタ「私に啓示された福音」第4/下巻が刊行されました。貪欲な男と愚かな金持ちの譬え話、七十二人の弟子たちの派遣、善きサマリア人の譬え話、よく知られているものも知られていないものも含めて、どのエピソードも目から鱗、すべてのキリスト者にとって必読の一冊です。四六判256頁、税込1,785円。送料は当面サービス致します。ご注文をお待ちします。

第4/下巻 目次
●イエズスの公生活の第二年(つづき)
275 四人の新弟子。身体的・霊的慈善事業について。
276 貪欲な男と愚かな金持ちの譬え話。神のしもべたちの気がかりと警戒。
277 マグダラにあるマリアへの庭園にて。兄弟姉妹間の愛と矯正(きょうせい)。
278 赦しと悪いしもべの譬え話。七十二人の弟子たちの派遣。
279 ガリラヤの田園でのラザロとの出会い。
280 七十二人の帰還。未来の神秘家たちに関する予言。
281 幕屋祭の祝日に神殿で。イエズスに従うための条件。タラントの譬え話と善きサマリア人の譬え話。
282 エルマステオ、エンドルのヨハネ、シンティカに関するユダヤ最高議会への密告。
283 シンティカは真理との彼女の出会いについて語る。
284 ソロモンから寄贈された小さな家。四使徒はユダヤに残るだろう。
285 ラザロはエンドルのヨハネとシンティカのために避難所を提供する。イスカリオテのいないエリコへの喜ばしい旅。
286 商人アレッサンドロ・ミサーチェと共にラモツで。霊魂の記憶についてのシンティカへの学習。
287 商人のキャラバンと共にラモツからゲラサへ。
288 ゲラサの町への住民への説教とイエズスの母に対する一人の女の賛辞。
289 ゲラサでの安息日。マルグツィアムの気晴らしと異教徒の救いについてのシンティカの疑問。
290 両眼に潰瘍のある男。『駱駝(らくだ)引きの泉』での休憩。もう一度霊魂の記憶について。
291 マルグツィアムはなぜイエズスが毎日九時課に祈るのかを見破る。
292 ボズラでの律法学士たちとファリサイ派の人たちの罠。
293 ファリサイ派の二人の闖入(ちんにゅう)後のボズラでの説教と奇跡。アレッサンドロ・ミサーチェへの信仰の賜物。
294 商人が残した巨額な寄附。母と女弟子たちからの別れの挨拶。
295 ヤコブのフィリポによってすでに福音宣教されたアルベラでの説教と奇跡。

'13・6/15 重版出来のお知らせ

マリア・ヴァルトルタ著「手記」抜粋を改題し「地球上の神の国」として重版しました。ヴァルトルタの書き残したものは122冊のノート、15,000頁にのぼります。その中から口述筆記の主要な部分、すなわち主の33年のご生涯に関する部分は、その口述の日付を入れ、『私に啓示された福音』全10巻に編集され、1956年その第1巻が出版されました。以上の『福音』を除いた部分が年度別に3冊の大著(2000頁を超える)に編集され、1976年に刊行されました。この厖大な私的啓示の中から「時の終わり」に関する部分を抜粋したものが「地球上の神の国」240頁です。

'12・11/17 新刊のお知らせ

   刊行!

「聞く耳があれば、聞きなさい。」マルコ4・23
マリア・ヴァルトルタ「私に啓示された福音」第5/上巻が刊行されました。孤児マリヤとマッテヤの救助、「あなたの弟子たちは食事の前に手を洗わない」と抗議するファリサイ派たちへのイエズスの反論、ぶどう畑の労働者の譬え、耕作者の譬え、ろうあ者の癒し、ファリサイ派の酵母菌の譬え、ヨナのしるし等、よく知られているものも知られていないものも含めて、どのエピソードも目から鱗、すべてのキリスト者にとって必読の一冊です。四六判288頁、税込2,000円。送料は当面サービス致します。ご注文をお待ちします。なお、第4/下巻は都合により遅れており、第5/上巻が先に刊行されています。

第5/上巻 目次
●イエズスの公生活の第二年(つづき)
296 雨の中アエラに到着、そして待ちあぐねた病人たちの治癒。
297 アエラでの説教をもって、第二の使徒的大旅行は終わる。
298 孤児マリアとマッテヤの救助と、そこから引き出された教え。
299 孤児マリアとマッテヤはクザのヨハンナに預けられる。
300 ナインの復活者ダニエルの家で、律法学者たちとファリサイ派の人たちと共に。(マタイ15:1-2、マルコ7:1-16)
301 王を退位させられる譬え話と、不浄に関する譬え話の説明。
302 エンチェニエのために一同を家族のもとに帰らせる前に、マグダラで。
303 イエズス、ナザレの母のもとへ。
304 エンドルのヨハネ、シンティカ、そしてマルグツィアムと共に。マリアは母であり、師である。
305 イエズスは、小鳥たちの譬え話をしてマルグツィアムを慰め、励ます。
306 シモン・ゼロテもナザレに到着する。怠惰による被害についてのレッスン。
307 ナザレの人びとの振舞についての議論と贖罪に逆らう罪への傾きに関する授業。
308 アルファイのシモンの息子の治癒。マルグツィアムは最初の少年弟子となる。
309 一女児の快癒のために捧げたマルグツィアムの犠牲。アルファイのシモンの改心。
310 ナザレでイエズスはペトロと共にエンドルのヨハネとシンティカの出発を計画準備する。
311 マルグツィアムの放棄は愛のためになされる犠牲についての学習を喚起する。
312 イエズスはエンドルのヨハネに、そのアンティオキア派遣を決定した旨を告げる。
   イエズスの公生活の終わり。
●イエズスの公生活の第三年
313 家族同伴のアルファイのシモンの訪問後、ナザレからの出発準備。第三年にイエズスは義人となるだろう。
314 ナザレの家での夕食と悲嘆にくれる出発。
315 ジフタエルへの旅と、エンドルのヨハネの反省。
316 エンドルのヨハネとシンティカへのイエズスの訣別。
317 ユダ・イスカリオテの救いのためのイエズスの隔絶と祈り。
318 エンドルのヨハネとシンティカと共に、八人の使徒はトレマイデからテュロスへの船の旅に出る。
319 クレタ島民ニコメデの船に乗船し、テュロスから出発する。
320 嵐の海の船上での奇跡。
321 セレウチアでの下船とニコメデからの別れ。

'12・2/10 新刊のお知らせ

 望月神父「サタンについて/救いについて」

本書は望月神父の著作「悪魔について」と「三位一体なる神を生きる」を復刻したものです。現代のキリスト者が殆ど失いつつある悪への洞察力、神の生命に与って生きるという感覚を取り戻すために、この二つの著作は霊的利益をもたらすことでしょう。新書判208頁、税込1,050円。二冊以上のご注文は送料をサービス致します。ご注文をお待ちします。

「神学の最も主なる対象は神である。サタンにかかわる研究も、その目的とするところは、結局、神を明らかにすることにある。神を他のものから殆ど全く切り離して、神そのものだけを見るよりも、重点的に私たちの神発見を阻(はば)み、最大の邪魔だてをするサタンの行動を十分知ることは、神をより生き生きと、また、より深く知る縁(よすが)となる。
 教会の関心の中に、サタンの存在は常に大きな比重を占めてきた。第二バチカン公会議も述べている。『人はしばしばサタンに欺(あざむ)かれて、自分たちの考えの中に空しく迷い、神の真理を偽りと置き換えて、創造主よりも被造物に仕えたり、あるいは神なしにこの世に生き、そして死んで行くなどの絶望の極みにさらされている』と。
 しかし現代のキリスト者の宗教生活では、サタンは余りに軽く見られている。教会の現実の状態がそれを十分に物語る。私たちはサタンについてじっくり反省してみる必要がある。これも一つの『時代のしるし』と見るべきである。」(「悪魔について」序文より)

「悪魔(サタン)について 三位一体なる神を生きる」 ―― 目次
はじめに ―― 時代のしるし T サタン(悪魔)の存在 U 転落への危機 V 救いの妨害 W 内省の世界とサタン X 聖母とサタン

「救いについて 三位一体なる神を生きる」 ―― 目次
はじめに T 救いとは ―― 三位なる神を生きること U ペルソナとは 付論 自己に生きる

「… キリストの告げる救いは、そうしたものを無限に越えた次元のものである。それには最高の被造物でも自らの力では到達することのできないものである。それは一体何であろうか。それは神ご自身の至福への参与、神の内なる生命活動への参与である。
 このことの偉大さを少しでも理解できるためには、まず自然の次元での人間の営みでさえすべて、神の生命活動へ何らかの形で与(あずか)っていることを念頭におく必要がある。… 神から人間に与えられた能力を働かせることは、みな一つ残らず ──すなわち自然の次元での人間の営みはすべて ── 神の内的行動、また外へ向けての活動に、何かの形で与ること以外の何物でもない。
 …キリストのもたらされた救いが絶対である事の決定的根拠は、その道徳の教えの中にはない。そうではなくて、神ご自身、聖三位の生命に人をして再び与らしめる可能性をもたらしたところにある。全能の神といえども、それ以上のことをすれば矛盾を犯すという、ぎりぎりのところにある賜物を与えようとなさるのである。…」(「救いについて」序文より)

<著者紹介>
ヨハネ望月 光(もちづき ひかる)(1909-2000)
1909年(明治42年)12月15日、東京都麹町区(現千代田区)に生まれる。1932年、上智大学哲学科卒。1932-1946年、Bon、Benron O.S.B. Innsbruk-Sion, Romaに留学(哲学、神学)。1943年4月28日、ローマにて司祭叙階。49年4月、田園調布教会助任。49年7月、館山教会主任。50年9月、大司教館。52年11月、戸塚教会(横浜教区)主任。97年5月、聖体礼拝会チャプレン(横浜教区)。61年1月、聖心会裾野修道院チャプレン(横浜教区)。62年10月、横浜教区小神学校院長。63年11月、聖園ヨゼフ老人ホームチャプレン(さいたま教区)。68年4月、聖体奉仕会(新潟教区)。68年6月、自宅(国分寺市)にて哲学研究と執筆。2000年5月16日帰天。(東京教区事務局調べ) 師の著作は一部を除き、いずれも自家出版であり公刊されていない。したがって図書館などにも一部例外のほかは収蔵されていない。なお師の人となりを伝える、下記評言を挙げる。 「二代目に着任した望月神父はひげの神父で、学識深く哲学者。大学で講義し、著作も出されている。印象に残っているのは自然食派であったこと。説教が短いこと、説教はごく短く矢のように人の心を刺すものであった。青年を集め、神学の勉強会など3グループを指導し、ミサ後にも要理勉強をすすめていた。望月文庫と名づけられた本箱三つもの本が信徒に提供されたが、これらはいずれも皆神父が集められたもので、信徒たちは布教に信仰に活用した。」(『カトリック戸塚教会50年史』)(2000年6月)

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